次世代Webに向けたムーブメントを整理する
はじめに この記事は、現状のWebアーキテクチャの問題点を示し、それを解決せんとするムーブメントをまとめたものです。 私はPortable WebというWebアーキテクチャを作りましたが、本稿はPortable Webを説明するための序章として書きます。 そのため、本ブログの他の整理記事とは多少異なります(独自の解釈があったり、オピニオンが入っていたりします)。 既存のWebアーキテクチャに対する問題意識と目標 イントロ:「ElonMuskが狂ったらどうなる?」 Twitterは数億人が利用するWebサービスですが、そのWebサービスの命運がたった1人によって握られているというのは異常な事態と言えるでしょう。 しかし、社会はTwitterが使いやすいという理由でTwitterを捨てません。 社会はTwitterに依存してしまっているのです。 ElonMuskがTwitterを買収してから、次世代Webの必要性を世間の人々が納得してくれ易くなりました。 次世代Webの必要性が伝わるために実際にWebが崩壊していくことが必要であるというのは、とても皮肉なことで、最近は喜ばしいのか悲しいのかよく分からない気持ちになります。 例えるなら、システムが攻撃された後にセキュリティ対策を施すようなものです。 ここで私は説明の簡易性のためにElonMuskを例に出している ―Twitterを媒介(メディア)としている― だけであって、Twitterに限らずWeb全体がこのような状況です。 Web全体、つまり現状のWebアーキテクチャに問題があるです。 本稿では、その問題と解決策を考えていきます。 コラム:単一の主体 ここでの単一の主体とは、個人のみならず株式会社やDAO(Decentralized Autonomous Organization)を含みます。 というのは、株式会社やDAOであっても、最終的に投票などによって意思決定はA/Bのどちらか1つに決まるためです。 複数の主体というのは、互いに独立に外部に影響を与える、複数の意思決定者です。 主体の数は、その主体の内部的な意思決定構造には関係なく、外部に影響を与える意思決定者の数です。 例えばタケノコとキノコがあった時に、ある個人がタケノコを選んだことと、ある会社がタケノコを選んだことは場からタケノコが1つ減ったという点では同じです。 Web2の問題点、それは解決できるか 現在のWebアーキテクチャ(Web1~Web2)におけるWebサービスは「単一の主体が提供する、ブラウザを通じてアクセスできるアプリケーション」と定義できます。 さらにアプリケーションは、「何らかの目的を持った機能の集合体」と定義できます。 例えばFacebookは1つのWebサービスであり、単一の提供者はMeta社です。 しかし、新しい技術(Fediverse等)の登場によって、必ずしもこの定義が当てはまらくなってきています。 つまり、Webサービスが進化しているのです。 本稿では、後で新たにWebサービスを定義しますが、それまでは上の定義を利用します。 Web2の問題点は、利用者、延いては社会がWebサービスに依存してしまっていることです。 その原因としてデータロックインがあります。 なぜWebサービスがデータロックインするかというと、利用者の流出を防ぎたいためです。 利用者数が収益に直結することを考えるとそのような戦略になるのが自然だと思います。 例えば、毎日Facebookの投稿をしたり、いいね!を押したり、知り合いと繋がりを持ったとして、それを数年繰り返すと膨大な量のデータになります。 Webサービスを乗り換える際はそれらのコンテンツを移行することに加えて、全ての知り合いが同時に乗り換えてくれなければ、移行先のWebサービスの効用は減ります。 全ての知り合いが一斉に乗り換えるというのは理論上は可能でも現実的に不可能であって、それ故にデータロックインは強さを持つし、利用者はWebサービスに依存してしまうのです。 ただし、もしデータが一部しか移行できないとしても移行先のWebサービスの効用が高いという(とても珍しい)状況では、利用者は依存を振り切って移行するでしょう。 さて、Webサービスへの依存は利用者にとって悪い(ここでの「悪」は、あくまでも私の考える「悪」です)ことでしょうか? 上述の定義では、悪いことになります。 というのも、単一の主体が提供するものとして定義されているため、Webサービスの利用者はその単一の主体に隷属してしまうためです。 実際、Twitterに生息している感受性の高いネットユーザーはElonMuskに隷属している ―ElonMuskの意思決定次第でアカウントがBANされる可能性もある(実際に起きている)し、目に触れるツイートも違ってくる(つまり考えに影響を及ぼす)― と感じるのではないのでしょうか。 もし単一のWebサービスが複数の主体から提供されている場合、利用者には提供者を選択する自由があり、それによって提供者に対する隷属から逃れられるかもしれません(私は逃れられると考えています)。 したがって、Webサービスに依存することが悪いというより、むしろWebサービスを提供する主体に依存することが悪いのです。 この悪(=提供者への隷属)を解決するための動向としては、「体制による反体制的な活動」と「無名の人々による反体制的な活動」に大別できます。 前者は、例えばEUのデジタル市場法(後述します)があります。 法律は自律した国民が選出した代理者が強制力のある法律を制定することによって、強制的に社会を変革するという発想です。 後者はというと、例えばFediverse(後述します)などの新たなアーキテクチャです。 アーキテクチャは、技術者(自律した個人・組織)が新たなシステムを作り、それが人々にとってより良いものであるなら、自然とそのシステムに移り変わるだろうという発想です。 私はアーキテクチャの観点から考えています。 法律は施行された時から社会に対し強制力を持ちますが、アーキテクチャは社会に対しオプション(選択可能性が確保される)になります。 そのため、できることならアーキテクチャの方が良いと考えます。 しかし、アーキテクチャで独占を変えられない地点まで行ってしまった場合は法律を作る正当性があると考えます。 理想(目的)は、利用者がWebサービスの提供者に隷属している状態から脱却し、ある提供者の一存で利用者が右往左往されるのではなく、Webサービスの主権を利用者が持つことです。 そのためには、誰でも提供者になることができ、かつ利用者が提供者を自由に選択できることが必要です。 ここでの「自由に」というのは、利用者が乗り換える際に、その乗り換え先から同等以上の効用を得ることができるということです。 データを伴わない移行などで、効用が下がった場合、それは不自由な選択です。 例えるなら、居場所のない女性がDV彼氏に依存してしまう状況から、たくさんの男性がその女性にアプローチする状況が生まれ、より大切に扱ってくれる男性の所へ行くという感覚です。 したがって、依存の原因であるデータロックインを回避し、誰でも特定のWebサービスを提供でき、かつ利用者(社会)が特定のWebサービス提供者に依存しないWebアーキテクチャを構築するのが目標になります。 コラム:法律とアーキテクチャ 法律とアーキテクチャの関係についてさらに詳しく知りたい方には、アーキテクチャと法がオススメです。 数年前に興味で購入しました。 読みやすいため、今でもたまに気軽に開きます。 買ってよかったと思える書籍です。...